1.多極化する世界情勢と事業環境の大変革

近年、世界経済は「大変革(Transformation)」という大きな変化の波に直面しています。米国のトランプ大統領による政権運営や関税をはじめとする通商政策の動向、長期化するロシア・ウクライナ情勢、緊迫する中東情勢、台湾海峡を巡る地政学的緊張に加え、米国によるベネズエラ攻撃と現職大統領の拘束、次なる標的とされたキューバへの圧力強化など、世界各地で複合的な懸念事象が同時進行しています。また、トランプ政権が米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)の16 年間の延長に同意せず、年次で行われる共同レビューを通じた協定更新に移行したことも、北米サプライチェーンの不透明感を強める要因となっています。さらに、これらの地政学的リスクに加え、世界的に根強く残るインフレ圧力と各国中央銀行の金融政策運営も、企業を取り巻く事業環境を一層複雑にしています。

こうした大きな環境変化を読み解くうえで重要なのは、世界がもはや「米中二極対立」の構図だけではなくなっているという点です。その背景には、覇権国・米国の対外戦略の変化があります。かつて「世界の警察官」として国際秩序の維持に関与してきた米国は、自国の利益優先の姿勢を強め、国際社会への関与のあり方を見直しつつあります。同時に、西半球における自国の影響力を重視する、いわゆる「ドンロー主義※」とも呼ばれる政策志向が強まっています。この戦略的シフトは、欧州や北大西洋条約機構(NATO)との間に一定の緊張を生じさせるとともに、欧州各国に独自の「戦略的自律」を促すなど、戦後長らく続いてきた西側同盟の枠組みに変化をもたらしています。

※ドンロー主義:トランプ大統領の名前(Donald)と「モンロー主義」を組み合わせた造語。米国が世界全体への関与を抑えつつ、西半球(南北アメリカ)を自国の重要な勢力圏として重視する考え方を指す。

その一方で、大国間の力学変化による空白を埋めるように、「グローバルサウス」の存在感が急速に高まっています。インドやブラジル、東南アジア諸国連合(ASEAN)をはじめとする新興国・途上国は、欧米陣営や中露陣営のいずれかに単純に与(くみ)するのではなく、自国の利益を最優先にしつつ、分野ごとに最適な連携相手を選択する「マルチアライアンス(多極全方位外交)」を展開しており、国際社会における影響力は着実に高まっています。

また、日本、英国、フランス、ドイツ、オーストラリア、韓国などの「ミドルパワー国」も、特定の超大国への過度な依存を避け、自律性を確保しつつ国益の最大化を図る動きを強めています。日本・英国・イタリアによる次期戦闘機の共同開発「グローバル戦闘航空プログラム(GCAP)」や、日本と欧州連合(EU)の経済安全保障協力、日豪重要鉱物資源パートナーシップなど、防衛や先端技術、重要サプライチェーンを巡る連携強化がその例です。こうした動きは、従来の同盟関係を補完する新たな協力ネットワークとなり、国際秩序の多極化を示唆しています。

このような国際秩序の流動化は、企業の事業活動にも影響を及ぼし始めています。サイバー攻撃やランサムウェアによる被害の拡大に加え、海上輸送の脆弱性も経営上の重要課題として認識されています。ホルムズ海峡や紅海などの海上交通の要衝における軍事衝突やテロのリスクは、エネルギー価格の高騰を招くだけでなく、航路変更による輸送コストの上昇や物流の遅延、サプライチェーンの寸断を引き起こす要因となっています。

中でも特に注視すべきは、台湾情勢です。仮に有事によって台湾海峡周辺の物流や経済活動が制約された場合、世界の最先端半導体供給に深刻な影響が及びます。その波及は日本国内にとどまらず、スマートフォン、自動車、産業機器、医療機器など幅広い産業に広がり、グローバルな製造ネットワーク全体に混乱をもたらすおそれがあります。また、サプライチェーンの奥深くに潜在するリスクへの警戒も必要です。経済安全保障の観点から、軍民両用(デュアルユース)技術を巡る輸出管理や投資規制が世界的に強化されています。その結果、自社が直接その規制対象となる場合だけでなく、知らないうちに制裁対象企業との取引関係を持ってしまうリスクも高まっています。

地政学や経済安全保障上のリスクに加え、近年は環境・人権領域における企業の社会的責任への社会的要請も急速に高まっています。バリューチェーン(価値連鎖)全体において、環境破壊や強制労働などが確認された場合、非政府組織(NGO)や投資家からの厳しい批判や株主提案を受ける可能性があります。こうした背景には、EUの企業持続可能性デューディリジェンス指令(CSDDD)や欧州森林破壊防止規則(EUDR)など、透明性と説明責任を求める法規制の整備が進んでいることが挙げられます。企業は自社グループのみならず、原材料調達から製造、販売、廃棄に至る全体のトレーサビリティを確保することが必要とされています。

これらの対応を怠りリスクが発生した場合、その影響は一時的な業績悪化にとどまりません。規制違反による市場アクセスの制限、物流網の寸断、従業員の安全確保への支障に加え、企業ブランド毀損やレピュテーション(評判)の悪化、投融資の回避など、企業価値に重大な影響を及ぼします。場合によっては、事業継続を脅かす深刻な経営リスクへと発展するおそれがあります。

2.次世代を見据えたグローバルな投資競争の加速

では、このような大変革の時代に世界の企業による投資活動が萎縮しているかといえば、決してそうではありません。むしろ、次世代の産業覇権を見据えた大規模な投資競争が加速しています。その中心となる米国では、生成 AI(人工知能)の社会実装の広がりを背景に、マイクロソフト、グーグル、アマゾン・ドット・コムをはじめとする巨大テクノロジー企業が、AI向け半導体の確保やデータセンターの建設に巨額の資本を投下しています。
また、宇宙開発や次世代通信インフラ分野においても、SpaceXによる750億ドル規模の大型新規株式公開(IPO)など、主要プレーヤーによる大規模な資金調達と設備投資が継続しており、投資規模はかつてない水準へと拡大しています。

これらの動きは、テクノロジー業界にとどまりません。AI時代を支えるデータセンターの拡大は、送電網や蓄電池、再生可能エネルギー、原子力を含む電力インフラへの投資を押し上げています。また、製造業や物流、小売、金融、医療など幅広い産業において、業務変革や生産性向上を目的としてAIを活用したデジタルトランスフォーメーション(DX)投資が加速しています。そして、その波及効果はマクロ経済全体に及んでいます。

こうした投資競争は、米国以外でも顕著です。欧州では、経済安全保障の強化と脱炭素政策を両輪としたクリーンテック分野への投資が拡大しています。この他、欧州半導体法(European Chips Act)を背景に、半導体製造能力の強化やサプライチェーンの域内回帰を目指した官民一体の投資が進められています。一方、中国においても、「新質生産力」を国家戦略の中核に据え、電気自動車(EV)、蓄電池、再生可能エネルギー、AI、半導体などの重点分野に対する大規模な資本投入を継続しています。先端技術分野における海外依存の低減とサプライチェーンの自立化を目指し、国家ファンドや民間資本を動員した産業育成政策を積極的に展開しています。

さらに、グローバルサウスでも投資競争が活発化しています。インド、ASEAN 諸国、中東諸国、ブラジルなどでは、中間所得層の拡大を背景に、製造業、デジタルインフラ、再生可能エネルギー、重要鉱物資源開発などへの投資が加速しています。インドにおける半導体製造の誘致政策や、ASEAN諸国における「China+1」を見据えた生産拠点整備がその一例です。

このように、世界各地域で次世代産業への投資が活発化しています。これらの動きは景気循環的なものではなく、次の 10 年、20年を見据えた国際競争力と産業構造を左右する「構造的な投資競争」と位置付けられます。こうした動向を背景に、企業の合併・買収(M&A)活動も活発化しています。2026年上半期の世界 M&A 総額は約2.8兆ドルと前年同期比で48%増加し、過去最高水準を記録しました(英ロンドン証券取引所グループ(LSEG)集計データ・Reuters報道)。特に100 億ドル超のメガディールが市場をけん引しており、AI、デジタルインフラ、エネルギー、通信といった戦略分野を中心に、不確実性の高い環境下においても将来の競争優位確保に向けた積極的な投資が継続されていることがうかがえます。

3.日本における「投資立国」への転換と企業経営の課題

現在、世界が大規模な投資競争を繰り広げているのに対し、日本の状況は異なります。図1 は1990年以降の主要国における総固定資本形成の推移を示していますが、日本の投資水準は他の主要国・地域に比べて長らく停滞してきたことが見て取れます。

また、内閣府の「日本経済レポート(2025年度)」が示す ISバランス(貯蓄・投資バランス)の動向によれば、日本企業は大幅な貯蓄超過(資金余剰)を継続しています。主要国の中で、これほど長期にわたり企業が貯蓄超過を続ける例は見当たりません(図 2)。

内閣府「日本経済レポート(2025年度)第 2 章 成長型経済の実現に向けた課題 

第 3節 企業活動の活性化に向けて」における「第2-3-4 各国の貯蓄・投資バランス(3)非金融法人企業における資金過不足(国際比較)」の図を引用

これらのデータが示すように、日本は長年にわたり十分な投資を行ってこなかったとの指摘が少なくありません。その背景には、平成バブル崩壊後の長期停滞やデフレ環境下において、日本企業が過剰債務の解消と財務体質の強化を最優先に取り組んできたという事情があります。内閣府の分析によれば、日本企業は過去 30年間にわたりコスト削減によって収益力を高めてきた一方で、その利益の多くを国内の設備投資よりも自己資本の拡充や手元流動性の確保、海外投資へ振り向けてきました。経常利益は大きく拡大しているものの、設備投資の伸びは限定的であり、利益の増加に見合った国内投資が行われていません。

もっとも、こうした経営努力の結果として自己資本比率や手元流動性が改善し、財務基盤が強化されたことは事実であり、一概に否定されるべきものではありません。しかし、世界が大規模な投資競争へと移行する中で競争環境の前提は大きく変わっており、過去の成功体験である「守りの経営」の継続が、将来の優位性を保証するとは限らなくなっています。今後は、コスト削減の追求から脱却し、成長が見込める事業領域へいかに迅速かつ戦略的に資本を配分し、付加価値を創出できるかが問われます。

こうした状況を踏まえ、日本政府も政策の軸足を転換しています。高市政権は「危機管理投資」と「成長投資」を両輪とし、官民連携による供給力と競争力の強化を推進しています。「日本成長戦略本部」を設置し、AI・半導体、航空・宇宙、資源・エネルギー安全保障、防衛産業など17 の戦略分野を対象に、経済安全保障と産業競争力向上を一体的に進める方針を打ち出しました。その象徴が、半導体分野への投資です。政府は Rapidusによる次世代半導体の国内量産化支援や、台湾積体電路製造(TSMC)熊本工場の誘致などを後押ししており、半導体を戦略産業として位置付けています。政府は継続的な支援を通じて民間投資を呼び込み、17の戦略分野における官民投資額を2040年度までに総額 370兆円超とする試算を示しています。こうした政策の本質は、戦略分野への成長投資を通じた「投資立国」への転換にあります。

一方で、企業側にも変革が求められています。近年のコーポレートガバナンス改革は、社外取締役の選任や体制整備といった「形」の改革から、企業価値向上への実効的な貢献を求める「実」の改革へと移行しています。東京証券取引所による「資本コストや株価を意識した経営」の要請や、機関投資家とのエンゲージメント深化などがその象徴です。また、経済産業省の「企業買収における行動指針」が示すように、企業買収や事業再編は企業価値向上のための重要な経営手段として位置付けられています。買収防衛や現状維持を前提とするのではなく、企業価値向上に資する提案については、取締役会が株主をはじめとするステークホルダーの利益の観点から適切に検討・判断することが求められます。

こうした動きは、取締役、特に社外取締役の役割を一層重くしています。社外取締役には、リスクを抑制する防衛的なマネジメントだけでなく、構造変化を成長機会と捉え、自社のリスクアペタイト(価値創造のために引き受けるリスクの種類と量)に基づいて果敢に資本を投下する「攻めの経営」を後押しすることが求められています。

4.大変革時代における「攻めの経営」とインテリジェンスの重要性

世界的な投資競争が激化する一方で、事業戦略や投資先を見誤れば、企業価値を大きく毀損しかねない時代でもあります。今、企業に求められているのは、単なる「攻めの投資」ではなく、不確実性を織り込みながら将来の機会とリスクを見極める高度な経営判断です。しかし、長年にわたり財務体質の強化やコスト削減を中心とする「守りの経営」に徹してきた企業にとっては、「成長投資の拡大」や「攻めの経営」へ即座に方向転換することは決して容易ではありません。世界情勢や地政学的環境、法規制が刻一刻と変化する中で適切な経営判断を行うためには、企業経営やリスクマネジメントの手法自体も、環境変化に合わせて柔軟に見直していく必要があります。

例えば、成長投資の重要な選択肢であるM&A においては、一般的にその7~8割が期待された成果を上げられていないといわれています。その主な要因として、現地の経済環境や業界動向、法規制といった外部環境に対するアセスメント不足に加え、対象企業の経営陣や組織風土といった「人」に関する内部環境の分析不足が挙げられます。このように、ただでさえ容易ではない M&Aを、大変革が進む現在の環境下において成功へと導き、統合プロセスを通じて真のシナジーを創出するためには、主として開示情報やマネジメントインタビューに基づく従来の財務デューディリジェンス(DD)、ビジネスDD、法務 DDだけでは十分とはいえなくなりつつあります。帳簿や契約書には表れない現場の商慣行、主要取引先との関係性、サプライチェーンの脆弱性、環境や人権に関わる潜在的リスク、実質的なオペレーション能力、創業者のバックグラウンドやキーパーソンの存在、社内の権力構造や組織風土、潜在的なコンプライアンスリスク、さらには関連法規制や現地当局の政策スタンスといった「見えづらい情報」をいかに把握し、評価するかが重要になります。そのためには、幅広い公開情報や人的ネットワークから得られる情報を駆使し、非財務情報の領域まで踏み込んで実態を可視化する「インテリジェンス手法」を取り入れた DDが有効です。

さらに、「攻めの経営」へと舵を切るためには、自社のビジネスやバリューチェーンを取り巻く情報を常に収集し、多角的に分析・評価し、経営の意思決定につなげられる体制を平時から整えることが求められます。こうした体制のもとで、取締役会には客観的な定量・定性情報に基づいた議題が提起され、その議題を世界情勢の構造変化と照らし合わせながら適切に判断を下せる経営陣の存在が不可欠です。AIをはじめとするテクノロジーの進化により、情報収集の量とスピードは飛躍的に増大しています。膨大なデータの中から、ハルシネーション(幻覚)や偏りのない本質的かつ信頼できる情報をいかに抽出し、意思決定に結び付けるかが問われます。経営判断に資する「情報の質」が、今後の企業の競争優位性を左右する重要な要素となります。

企業のインテリジェンス機能強化の重要性は以前から指摘されていますが、いよいよ「形」の整備から「実」を伴う運用フェーズへの移行が求められています。効果的なインテリジェンス機能を実装するためには、体制の構築から社内での運営が定着するまでに相応の時間を要するため、経営課題として早期に着手することが肝要です。世界情勢や経済環境に内在する不確実性を完全に排除することは不可能です。しかし、多極化する世界秩序を前提にリスクを先読みし、新たな事業機会を能動的に捉え、環境変化への適応力とレジリエンスを高める組織能力を獲得することこそが、大変革時代における「攻めの経営」を支え、「成長投資」を促す、中長期的な競争優位の源泉となるでしょう。

※本記事は、三菱UFJ 銀行『MUFG BizBuddy』に寄稿した内容を元に再編集したものです